Boudoir de BdT

#048 Maison Martin Margiela Trench Coat




パリで開催されている

マルタン・マルジェラの回顧展


ガリエラ美術館も素晴らしく

ひさしぶりにマルジェラの世界観を堪能した


と同時に

マルジェラキチガイだった私の私物を集めたら

「ひとりマルジェラ展」が

出来そうな気すらした


その中でも

服ですか?と言わんばかりの

わかりにくい展示物


2001-02年秋冬コレクションの

トレンチコート


私が着ている姿を

何度も見ているはずの友人が

マルジェラ展のその写真を見て

これ面白い!と感嘆した


実際に体が入った状態とは違い過ぎて

一見では気づかない


持っている本人も

一瞬

新鮮な気持ちになる


マルジェラのデザインは

一見突飛なように見えるが

きちんと布の特性が生かされ

着る人により

そのシルエットも変わる


作意的であり

作為的ではない


人間も

普段のんびりした人が

スポーツ万能だったり

一番話を聞いてなさそうな新人が

仕事を始めた途端

流れを一番よく把握していたり

など


こういうギャップは

魅力的に映る


マルジェラの服もまた

力の抜け方とそのギャップが

私には魅力的だった


マルタン・マルジェラ本人が活躍していた頃

当時の本店へ足繁く通い

恥じるほどの散財を繰り返した20代


我に返った時

取り戻せないものがたくさんあるような気がして

散財した罪悪感も手伝い

頭のおかしな20代を送ってしまったと

反省でしかなかった


ただ

今となっては

当時の服を実際に肌で感じられたことは

自分の人生に大きな影響を与えていると

少々大げさだが

真剣に思うことが出来る


気狂いだったあの散財も

自分の一部


あんなに夢中になれるデザイナーは

きっと私の人生には

もう現れない


いつか

おばあさんになり

時間を持て余した頃

ひっそりと

ひとりマルジェラ展を

開催してみるのも良いかもしれない


h.

#047 PRADA Panda Key Ring




小さいものは可愛い


多くのものは

そのままミニチュアになっただけで

支持を得られるだろう


このパンダは

全長4cmほどのミニサイズ


そしてPRADAという贅沢品


小さいながらによく出来ていて

肌触りはシュタイフ社のぬいぐるみのような

しっかりとした質感


どことなくいびつで

ハンドメイドらしい

愛嬌のある顔をしている


可愛くて

ついつい連れ出していたため

気付いた時には

顔や体の毛はすっかり抜け落ち

薄汚れたパンダになっていた


こんなくたびれた姿にした犯人は私だし

しばらくの間

休養していただこうと

引き出しの中にそっとしておいた


しかし

どうしてもまた連れ出したくなり

引き出しを開けては

具合はいかがかと

ちょっかいを出してしまう


私にとっては

本家よりシャンシャン的存在


物も人も

時が経てば変わっていく

キラキラした頃のまま永遠ではいられない


でもまた

このくたびれたパンダだからこそ

愛着が湧いているのも事実


初めましての時は

並んでいる他の子と大差なかったろうに

時が経つにつれ

このパンダじゃなきゃ

という気持ちになってくる


PRADAという血統書付き

しかし今では

そんなこともどうでもいい


ただの薄汚れたパンダも

違う角度から見れば

価値のあるパンダになる


誰に認められるためではない


自分が

自分の好きなものの

新たな価値を見出せれば

それでいい


一緒にいることの方が

薄汚れていくことより

大切なのかもしれない


友人だけじゃない

身の回りのものも

一緒に年を重ねている気がして

妙に愛おしく思えるのである


h.

#046 Yves Saint Laurent Leopard Bag




ヒョウ柄には不思議な魅力がある


賛否両論あるとは思うが

やはりリアルファーの魅力は

なにものにも代えがたい


ある時

私の持っているヒョウ柄を

よくよく見ていると

輪の中に黒い斑点があることに気づいた


かといって

斑点がないものもある


気になって調べてみると

斑点のある柄は

豹ではなくジャガーのものらしい


それまで自分が

ヒョウ柄だと信じていたものは

豹ではなかった


私にとってのヒョウ柄は

動物の豹と

イコールでいてイコールではなく

ストライプやチェックと同じ括り


そしてこの時ようやく

ヒョウ柄の違いは

柄ではなく動物の種類が違う

ということを知ったのだった


大学へ入るための勉強より

日常の疑問を解決できる勉強こそ

必要だったと痛感した頃には

あとの祭りである


あるパリの出張時

何気なく立ち寄ったサンローランの

SALEと書かれた店内に

存在感のある小さなジャガーが佇んでいた


小さな財布に携帯

ハンカチでも入れればほぼ満杯になる

バケツ型のバッグ


セールで出会えたことが奇跡だと浮かれ

すぐさま連れて帰ってきた


私にとってこのサイズは

この上なく使いやすく

パリから

ロンドンやアントワープへの日帰り旅行も

このバッグひとつで十分なほど


パスポートも飛び出そうなほどの小さなバッグに

入国審査官には

ショッピングでしょ?

とニコニコされ

荷物検査のベルトコンベア上では

バッグが倒れ中身が全て放り出されるなど

ご愛嬌も多い


久しぶりにばったり会った友人には

なにそれ?

荷物それだけ?!

と笑われたことを覚えている


セールでの奇跡的な出会いだと思っていたが

そうでもなかったらしい


使い勝手の良し悪しは

人それぞれ


物や服は

見た目から選ぶことが殆どだろう

そして実際

付き合っていくとどうなのか?


相性も含め

人との付き合い方に似ている


見た目も中身も好ましい

そんなものに出会えたら

生涯手放せなくなるのは当然のことだろう


これからどんな出会いが待っているのか

一期一会を大切にしていきたい


h.

#045 Tiffany & Co. Pin Cushion




寒くなってくると

裁縫まがいなことがしたくなる


ものすごく好きなわけでも

得意なわけでもない


子どもの頃

母の持っていた裁縫箱に

憧れていた


母が嫁ぐ頃は

裁縫箱も

花嫁道具のひとつだったのだろう


子どもが抱えるには少々大きな

昔ながらの木製の裁縫箱


両開きの蓋を開けると

重なっていた三段の箱が

左右に広がっていく


色とりどりのミシン糸や

裁縫道具の数々


ハサミや針は危ないから

と言われながらも

こっそり宝箱を開けるような気持ちで

用もないのに眺めていた


10年ほど前

アンティークショップで見つけた

ただならぬ佇まいのピンクッション

底にはTiffany&Co.と刻印されていた


ヨーヨーなど

遊び心あるアイテムを

本気の銀製品として世に出してきた

Tiffany社


以前は

裁縫道具も作っていたらしい


裁縫道具は

昔の人々にとって

より身近なものだったのだろう


そのTiffany社のピンクッションを

心して連れて帰ってきた


しかし

シルクらしきピンクッション部分は

色焼けし

生地も劣化している


針の差し具合も

お世辞にも心地よいとは言えない


ピンクッションを外すと

針と糸が入る程度の小物入れになっている


そのシルバーの受け皿も

やや変形し

スムーズに開閉できない


気難しいお爺さんと接しているかのように

ご機嫌を伺いながら付き合っている


せわしない日々に追われ

呼吸ひとつ満足に出来ていないことに

はっと気付かされることがある


便利で使いやすい物は有り難いが

事がスムーズに運び過ぎる


少し手の掛かるものを

身の回りに置いておくと

作業の流れが一瞬止まる


舌打ちでもしそうになれば

何にそんなに追われているんだと

気難しい物たちに

鼻で笑われているような気分になる


気がつけばもう12月

年末近くなると

一年の過ぎ行く速さを振り返ると共に

変わらず過ごせたことに感謝する


そして次の年末も

同じような会話が繰り返され


「来年こそは

もう少しゆっくりと日々を大切に・・」


これまた毎年恒例

年末のお約束を心に誓うのである


一年の締めくくりに

平穏な日々に感謝し

新年もまた

同じようにと願えることこそ

幸せの証拠なのかもしれない


h.

#044 Hermès Leather Agenda Notebook




小学生の頃

担任が愛用していた手帳に憧れていた


真っ黒のレザーにA5サイズほどの大きさ

今思えば

いわゆるビジネス手帳


事あるごとにそれを開いては

確認したり

書き込んだり


そんな姿に憧れ

私もオトナになったら

かっこいい手帳を持たなければと

密かに鼻息を荒くしていた


まず中学生の頃に選ぶ手帳なんて

可愛らしいもので

中身だって

シールを貼ったり色ペンを使ったり

開けば

色とりどりのカラフルなものだった


その後

自分のキャラクターに

薄っすら気づき始めた頃から

無印良品の手帳を使うようになった


社会人なりたての頃

確か

Pen か BRUTUS

男性に向けた手帳特集の雑誌を手にとった


パラパラめくっていると

私物紹介のページで手が止まった


写真越しでも伝わってくる貫禄

手帳の内側にはイニシャルが刻印され

「長年愛用しています」

という内容が全て詰まった

エルメスの手帳だった


顔の載っていないその持ち主は

どうイメージしたって

仕事の出来る紳士に違いない


残念ながら

当時の私には

まだエルメスの手帳は不釣り合いだということを

受け入れざるをえなかった


「いつか欲しいもの」


誰の中にでもあるだろう

何かの瞬間

発作が起きたように欲しくなるものの

手に入れられなくても

きっと一生困らない


私にとってエルメスの手帳も

そんな位置付けだったのだと思う


それでも

掴みたいものは

夢だけでなく

たとえエルメスだろうと

口に出しておくもので

ある節目の誕生日

私の元へ念願のエルメスがやってきた


おっさん仕様のかさばる手帳に憧れていた私は

手元にやってきた上品なサイズの手帳に

若干の物足りなさを感じていた


独立してからというもの

ミーティングだの

来客だの

いちいち手帳に書き込むほど

1日のスケジュールが把握出来ないことはない


さらには

一週間先の予定を入れるのも苦痛な私に

本来手帳なんて

必要なかったりもする


しかし

そんな私ですら

エルメスの滑らかなレザーには

つい手を伸ばしてしまうのである


そしてまた

エルメスがそれ見たことかと

あざ笑っているかのように

上品なサイズの手帳が使いやすいことも

実感していた


こうして他力によって

憧れの手帳を手に入れたわけだが

憧れた先生やイメージした紳士のように

それを使っている人間が

中身からかっこいいオトナか

という点については

大きな課題である


果たして

なりたい人間像というのは

見た目から入って

内容的な効果は得られるのだろうか


私はこの手帳を

2cm弱の輪ゴムでまとめている


友人は

エルメスに輪ゴム・・と呆れ顔だが

今のところこれがしっくりきている


そのうち

イニシャルを入れ

長年の愛用品だと胸を張って言える頃

共に年齢を重ねた私は

人様にどう映っているのだろうか


何を使うかではなく

誰が使うか

本質はそこにある


h.