Boudoir de BdT

#044 Hermès Leather Agenda Notebook




小学生時代の担任が愛用していた

手帳に憧れていた


真っ黒のレザーにA5サイズほどの大きさ

今思えば

いわゆるビジネス手帳


事あるごとにそれを開いては

確認したり書き込んだり

そんな姿に憧れ

私もオトナになったら

かっこいい手帳を持たなければと

密かに鼻息を荒くしていた


まず中学生の頃に選ぶ手帳なんて

可愛らしいもので

中身だって

シールを貼ったり色ペンを使ったり

開けば

色とりどりのカラフルなものだった


その後

自分のキャラクターに

薄っすら気づき始めた頃から

無印良品の手帳を使うようになった


社会人なりたての頃

確か

PenかBRUTUS

男性に向けた手帳特集の雑誌を手にとった


パラパラめくっていると

私物紹介のページで手が止まった

写真越しでも伝わってくる

使い込まれた貫禄

手帳の内側にはイニシャルが刻印され

「長年愛用しています」

という内容が全て詰まった

エルメスの手帳だった


顔の載っていないその持ち主は

どうイメージしたって

仕事の出来る紳士に違いない


ということで

残念ながら当時の私に

エルメスの手帳は不釣り合いだと悟った


でも

そのエルメスを見てしまっただけに

無印良品からは卒業したいと

しばらく

いろんな手帳に浮気した


「いつか欲しいもの」


誰の中にでもあるだろう

何かの瞬間

発作が起きたように欲しくなるものの

手に入れられなくても

きっと一生困らない


私にとってエルメスの手帳も

そんな位置付けだったのだと思う


それでも

掴みたいものは

夢だけでなく

たとえエルメスだろうと

口に出しておくもので

ある節目の誕生日

私の元へ念願のエルメスがやってきた


おっさん仕様のかさばる手帳に憧れていた私は

手元にやってきた上品なサイズの手帳に

若干の物足りなさを感じていた


独立してからというもの

ミーティングだの

来客だの

いちいち手帳に書き込むほど

1日のスケジュールが把握出来ないことはない


さらには

一週間先の予定を入れるのも苦痛な私に

本来手帳なんて

必要なかったりもする


しかし

そんな私ですら

エルメスの滑らかなレザーには

つい手を伸ばしてしまうのである


そしてまた

エルメスがそれ見たことかと

あざ笑っているかのように

上品なサイズの手帳が使いやすいことも

実感していた


こうして他力によって

憧れの手帳を手に入れたわけだが

憧れた先生や

イメージした紳士のように

それを使っている人間が

中身からかっこいいオトナか

という点については大きな課題である


果たして

なりたい人間像というのは

見た目から入って

内容的な効果は得られるのだろうか


私はこの手帳を

2cm弱の輪ゴムでまとめている


友人は

エルメスに輪ゴム・・と呆れ顔だが

今のところこれがしっくりきている


そのうち

イニシャルを入れ

長年の愛用品だと胸を張って言える頃

共に年齢を重ねた私は

人様にどう映る人間になっているのだろうか


何を使うかではなく

誰が使うか

本質はそこにある


h.

#043 Maison Margiera Tabi Gloves




実用的か

趣向的か


目的にも寄るだろうが

多くのものを選ぶ時

私は後者を優先する


特に服や身に付けるもの

バッグなども含め

機能性は第一の検討材料なはず


でも気に入ったモノならば

モノに自分が合わせればいい

そんなスタンスでモノを選んできた


この足袋グローブも

形の面白さから入ったわけだけれど

当初は商品名通り

足袋からインスピレーションを得たのだと

思い込んでいた


しかし

このデザインソースは

米軍のトリガーミトンたるものだろう


寒冷地帯で

グローブをしたまま銃のトリガーを引けるよう

親指と人差し指を独立させたもの


本来この形は実用的だったのだ


使う時代 場所 人 用途

同じモノでも

条件が違えば

実用的にも趣向的にも変化する


ファッションの面白さは

こういう視点の角度を変えた時に

見えてくるのではないだろうか


実際は命を賭けた重要な道具だったのに

ファッション的視点では

お洒落アイテムになってしまう


そもそも私は

銃のトリガーも引かないし

現代の日常生活で

このグローブは使いやすいのかと問われると

言葉を濁す以外ない


そして

ロンググローブって

外した時に寒いことをご存知だろうか


半袖ニットとロンググローブ

以前の記事でも書いた

お洒落に違いない組み合わせ


グローブを外せば

当然半袖になるわけで

それがまた寒空の下だったりした日には

隣にいる友人が

「大丈夫?寒くない?」

と心配して声をかけてくれる

そこでもちろん間髪入れずに

「うん!大丈夫!」

と即答する


絵に描いたような

やせ我慢である


「お洒落は我慢」

果たしてそうだろうか


第三者には

我慢をしているように見えるファッションも

その当人は

心底お洒落を楽しんでいるだけ

なのではないだろうか


そう

我慢にも値しないほど

不便を感じていないのではないだろうか

と思うのである


確かに

ロンググローブを外せば寒いし

それを寒い寒いと容易く口にしたくない

自分なりの流儀もあるし

いろんな意味でやせ我慢をしているのだけれど

それも込みで

ファッションを楽しんでいる


人生一回

その年齢のその季節は

一度しかやってこない


ならば尚更

どんどん

やせ我慢をしたいと思うのである


h.

#042 Firo Bianco Uno Royal Baby Alpaca Top




服好きには

布好きが多い


肌触りの良いものは

赤ちゃんだって

動物だって

みんな大好き


私のクローゼットには黒が多い

広げるのが面倒で

畳んであるまま

お目当の服を選ぶ時には

目をつむり

手の感触のみで探す


そうすることで

視覚の余計な情報に惑わされず

すんなり見つかるのだ


想像以上に

我々の触覚は優れている


肌に近い服を選ぶ時の基準は

まず肌触りではないだろうか


ありそうでない

自分自身の「定番カットソー」

少なくとも私は

これまで出会えなかった


定番だと思っていても

次のシーズンにその型が作られていなかったり

自分の思うように定番とはいかず

もう一枚欲しかったな・・という

思いだけを残して

次の定番探しの旅に出ることになる


数年前のある時

キャリーバッグを持ったアパレルの営業マンが

店にやってきた


いつもなら

営業マンの方に

そのキャリーバッグを開けてもらうことなく

丁重にお引取りいただくのだが

なぜかその日は受け入れた


そのわりに

キャリーバッグの中身への期待値は

とても低かったことを記憶している


しかし

キャリーバッグの中の箱から

丁寧に取り出された

コットンのカットソーに

思わず言葉を失った


その素材と肌触りに

静かに興奮した


気品すら感じる凛としたカットソーに対し

白髪混じりの気さくなデザイナー

更には

行商のようなスタイル


すべて違和感のある組み合わせに

良い意味で期待を裏切られたのが

FIROとの出会いだった


コットンだけでなく

秋冬のウールやカシミアなど

のちに紹介される素材は

どれをとっても素晴らしかった


FIROのカットソー(素材)は

どこか優しさを感じる


アルパカも

ニットではおなじみの素材になってはいるが

チクチクして苦手という方も少なくない


ところが

このFIROのアルパカのカットソー

正式には

ロイヤルベビーアルパカ100%のカットソー


この仰々しい素材名を明記しているだけあり

チクリともしない

多くの方から愛される肌触りと保温性


常に真摯に

そして研究者のように

糸一本から素材作りに向き合っているからこそ

出来上がるFIROのカットソー


プラスしていくのもデザインだが

究極にマイナスされたデザインだからこそ

素材に対する大きな自信を感じられる


そこに

私たちも

信頼を置けるのではないだろうか


良いモノ

良いブランド


「良い」が意味することは

人それぞれだが

自分の感覚にリンクする「良い」と

出会えた時

心の底から幸せだと思えるのである


たかが服されど服だけれど

本気で作られた服かどうかは

物作りの素人の私でも

なんとなくわかる


真摯な服

私たちの見えないその背景は

壮大である


h.

#041 Antique Tin Case




海外出張のたびに

必ず訪れる蚤の市


オープン当初は

蚤の市で買い付けたアンティークも

販売していたけれど

今となってはそれも出来なくなってしまった


日本でのアンティークブームから

バイヤーたちが

こぞってアンティークを買い付ける


今や

質の良いアンティークは

海外の蚤の市へ行くより

日本で見つけた方が早いのではないかと思うほど


蚤の市は

ガラクタの集まりか

または

宝の宝庫か


答えはその人次第


私にとっての蚤の市は

その空気に触れるだけで

新しいアイデアを与えてくれる場所


探す目的を持たずに歩いていても

思わず足を止めてしまうアイテムがある


その中のひとつが

タブレットやお菓子のパッケージだった

TIN缶

いわゆるブリキ缶


大きさや形も様々で

リップクリームやタブレットが入っていた小さなものから

クッキーやお菓子が入っていた大きなものまである


カラフルだったであろう缶のイラストも

時を超え

すっかり色褪せ

錆びてしまっている


しかし

その佇まいこそ

アンティークの魅力である


そうして

十数年もの間

知らず知らずと

いろんなタイプの缶を集めてきてしまった


その中でも珍しいブック型のTIN缶

どうやら

市販薬や処方箋の薬を入れて

販売されていたらしい


その必要がなくても

薬を買ってしまいそうなほど

洒落ている


あくまで推測だが

きっと当時

薬局で薬を買える人々は

裕福だったに違いない


アンティークに触れると

ノベルティーや付属品であるにもかかわらず

手間やコストのかかっているものが多く

量産されていたことに驚く


ひとつひとつの物が

丁寧に作られ

大切にされていたことが伝わってくる


昔の人々の生活は

お洒落だったのだろう

そしてそれは

物に対してだけでなく

それを使う人々の

気持ちや時間の余裕すら感じられる


いま私たちが生きている時代に作られたものは

果たしてどのくらいのものが

アンティークとして

受け継がれていくのだろう


子供の頃に持っていた宝箱の中身は

ガラクタばかりだった


少々大袈裟だが

子供心に集めたそのガラクタには

きっと

愛や夢が詰まっていたに違いない


大人になってからというもの

クローゼットや引き出しの中身は

あの宝箱のように

それらは詰まっているのだろうか


なんでもいい

値段ではない

自分だけの宝物


そんなことを

アンティークから教えられるのである


h.

#040 Moleskine City Notebook




地図

これとはなかなか

仲良くなれる気がしない


行く先を地図で確認していると

眠くなってしまうという

のび太なパターン


でも

さすがに海外ともなれば

ドラえもんもいないし

地図と仲良くせざるを得ない


でも現代には

ある意味ドラえもんのような存在がいる

行き先を告げると

Google先生が案内してくれる


そんな奇跡的な現代に生きていながら

私がGoogle先生に道案内してもらうことは

この先もきっと無いだろう


一度Google先生に頼ってみた時のこと

携帯画面の地図が

クルクルクルクル

え どっち?こっち?

画面上と現在地の確認をするだけで

すでに迷子


なににつけ

感覚重視で生きてきた私は

知らない場所へ向かう時すら

勘のみで

ガンガン進みたがる性分


もちろん

大幅に間違え

大幅に引き返すという失敗もあるが

当たっていることもあるから

まんざらではない


とはいえ海外

異国の地

やはり地図は必須である


でも

初めての土地だろうが

眼の色が違おうが

御上りさんには思われたくない


以前

ロンドンの街角で

同僚と地図を見ながら

あっちかこっちかとやっている時

ホームレスの男性が

自分の肩にかけているバッグの中へ手を入れて

お宝を探っていた


はい

現行犯

そして危機一髪である


街に出て地図を広げていると

少なからず

その土地の人間ではないということが

丸わかり


できれば

できる限り立ち止まりたくないというのが

本音である


このCity Notebookならば

立ち止まって確認していても

あからさまに地図を見ているようには見えない


なんてスマートに

安全に

位置確認ができることだろうと

胸が躍った


その上

地図というより”Notebook”としているため

その土地で

自分が必要な情報を書き込むことが出来

自分だけのガイドブックが出来上がる


おかげで

パリのノートブックは

いろんな情報集めにより

パンパンな厚みになってきた


年季の入った

それを見るたびに

パリで過ごしてきた時間を

思い返すことができる


同じ旅先でも

目的や季節などにより

百人百通りの見え方や感じ方があるだろう


使い古された地図には

その持ち主の足跡が

色濃く残っている


単なるツールに過ぎないものも

年月を共に過ごすことにより

日記以上に

語ってくれる相手になるかもしれない


h.